ベネズエラ人は多くの人種と民族が合流して生まれており、現在も移民が流入し続けている。先住民はインディヘナのカリブ族、アラワク族などが住んでいたが、現在先住民の社会を維持しているのはアマゾンの密林の中に住む少数である。白人は植民地時代のスペイン人が主で、当時は植民地社会の上層部にあった。独立後は他のヨーロッパ諸国からの移民も増え、現在もポルトガルなどから流入しているが、近年では政治的な理由により富裕層や中間層がアメリカ合衆国へ流出している。
アフリカ系ベネスエラ人は植民地時代に奴隷としてつれてこられた人々の子孫である。アジア系は他より少ないが、独立後に移民した華僑(中国系)がおり、小商店主として成功した。しかし、アジア人に対する人種差別が激しいため[要出典]、南米の国の中で日本からの移民はかなり少ない方であり、現在は600人程とウルグアイの日系人の倍程度である。最近では中南米諸国、特に隣国コロンビアからの、難民に近いような移民が多い。
世代を重ねて混血が進んだため、人種集団をはっきり区分することはできない。人種別統計は長くとられておらず、そうした調査も実施されていない。が、北米、日本、欧州では各国の研究者が独自に調査した構成比が出回っている。それによれば、メスティーソ67%、ヨーロッパ系21 %、アフリカ系10 %、インド系2 %とされる。ベネズエラ人の主流の意識は自らをメスティーソとし、ベネズエラをメスティーソの国とするものである。
人種差別が表に現れることを恥ずべきという意識はないことはないが、街頭などで人種差別的な偏見を口に出す人間は他のラテンアメリカ諸国に比べても格段に多い。皮膚感覚では南米で一番酷い国であるという者もいる[要出典]。そして現実社会では他のラテンアメリカ諸国と同じように上流階級が白人で占められている。当然のことだが白人が他人種より上にあるという関係が個人間でなりたつわけではなく、下層の白人も中流の黒人もいる。しかし、多くの域内諸国と同様に多くの黒人や有色人種に機会の均等が保障されているわけではない[要出典]。インディヘナはスリア州やオリノコ川南部に多く居住している。
移民
主な移民の出身地としては、イタリア、スペイン、ドイツ、ポルトガル、シリア、レバノン、インド、パキスタン、中国、日本、コロンビア、チリ、ドミニカ共和国、エクアドルなど。1940年代から1950年代にかけてヨーロッパからの移民ブームがあり、1950年から1958年までの間に、ポルトガル人を中心に実に45万人の移民が流入した。特に有名なドイツ系の入植地としてコロニア・トバールが挙げられる。
人口
独立直後の1830年にはおよそ80万人ほどだった人口は、20世紀に入ってからも余り増加せずに1920年には推定で200万人ほどだった。しかし第二次世界大戦後に急速に人口が増加し、1967年には推定900万人、1983年の調査では1639万人となっており、2007年には2600万人を越えた。人口の都市化率は85%であり、73%は北部のカリブ海沿岸100km以内に住んでいる。国土の約半分を占めるオリノコ川以南には人口の5%しか居住していない。
言語
言語はスペイン語(ベネズエラ・スペイン語)が公用語であり、かつ日常生活で最も使われている。31のインディヘナの言葉があり、政府は先住民の言語を通用させる努力を規定しているが、話す人は限られている。その他にも移民によってドイツ語、ポルトガル語、ガリシア語、イタリア語などが話されている。
宗教はローマ・カトリックが76%、プロテスタントが2%、その他が2%である。その他の宗教としてはイスラム教、ユダヤ教など。
国際連合の2005年度の調査によると、識字率は93.0%であり、ラテンアメリカでは中程度の部類に入る。
秋日和 プレス タンポポ ダブル マイケル ビーカー ナリラ フェア ストリ テロメ シャープ オール シャッポ ゆりはま ユーアー フレア トルク リリシ マルチ ソファ ウテルス みこも コデマリ ノータッチ ヘルパー ミョウガ シビア ゼッケン プラー フィンランド 仙人掌 ゲル対策 美の気配 スタッカー ヌートリア パンサー グロビン かいづか プロポョン スイング オステ ノール おのいし お座敷 パラッツ ゆとう シナモン フットケア サポーター バスターズ
6歳から15歳までの国民を対象に義務教育が行われており、初等教育と前期中等教育は無償である。主な高等教育機関としてはベネズエラ中央大学(1721年)、ロス・アンデス大学(1785年)、カラボボ大学、スリア大学(1891年)、シモン・ボリーバル大学(1967年)などが挙げられる。
チャベス政権が推進している社会政策の一つに「第二次ロビンソン計画」がある。初等教育(6年)の未終了者を対象とし、受講期間は二年。第一回終了式が、2006年8月、首都カラカスで行われ、32万5000人が修了証書を受け取る。修了者は、「リバス計画」(中等教育)や「見つめ直そう計画」などに進むことが出来る。これらの計画の受講中は、奨学金が給付される。
治安
近年治安は急速に悪化しつつある。1999年以降殺人事件発生率は増加の一途を辿っており、2003年をピークに一端減ったものの、2006年、2007年と再び増加に転じ、現在ではコロンビア、エル・サルバドルに次いでラテンアメリカでの殺人発生率は第三位である。営利誘拐の増加も社会問題となっている。カラカス市内では特急誘拐が多い。現職警察官や、国家警備隊員は腐敗しており、さらに彼らによる犯罪も見受けられ、モラルの低下が問題となっている。
地方はまだ安全であるが、特にコロンビアとの国境付近はコロンビア革命軍や極右民兵の活動地域であるため危険である。
文化
ベネズエラの文化はラテンアメリカ的な伝統に大きく影響を受けている。インディヘナの文化の上に、スペイン、アフリカの影響が強く築かれ、様々な文化が融合している。
中央アメリカから広がるトウモロコシ文化圏の国であり、アレパと呼ばれるトウモロコシ原産のパンのようなものが一般に食べられている。飲み物としては、ロン(ラム酒)が広く飲まれており、お茶やコーヒーの代わりに熱したチョコレートを飲む習慣もある。スペイン料理や、イタリア料理も一般に食べられている。
ベネスエラ文学は先コロンブス期には先住民の口承文学が存在した。植民地時代にスペイン人の文学が取って代わり、19世紀に入ると独立を巡る政治的過程の中で、フランシスコ・デ・ミランダの自伝などの文学が発達した。独立後はロマン主義などが発展した。19世紀後半から20世紀の間はモデルニスモとアバンギャルドが文学潮流となった。1964年にスペイン語圏の優秀な小説に対して贈られるロムロ・ガジェーゴス賞が設立された。
特に重要なベネスエラ出身の文学者としてはフアン・アントニオ・ペレス・ボナルデ、エドゥアルド・ブランコ、アンドレス・エロイ・ブランコ、ロムロ・ガジェーゴス、アルトゥーロ・ウスラール・ピエトリ、ミゲル・オテーロ・シルバ、マリアーノ・ピコン・サラス、アドリアーノ・ゴンサレス・レオン、ホセ・アントニオ・ラモス・スクレ、ラファエル・カデナス、ビクトル・ブラーボ、サルバドール・グアルメンディアなどが挙げられる。
映画
社会問題となっている営利誘拐を取り扱った、『特急誘拐』(邦題は『ベネズエラ・サバイバル』)は記憶に新しい。
音楽
リャノから生まれた舞踊の音楽ホローポは国民音楽であり、アルマ・ジャネーラ(平原児(ジャネーロ)の魂)というオペレッタから生まれたフォルクローレは第二国歌とも呼ばれている。スペイン伝来のクアトロ(4の意味から四弦)やアルパなどの楽器や、その他にはマラカスが広く使われている。日本でも良く知られているコーヒー・ルンバはベネスエラ出身のアルパ奏者、ウーゴ・ブランコによって演奏されてヒットした曲である。
古くはメレンゲ(ドミニカ共和国のメレンゲとは異なる)がダンス・ミュージックだったが。これはやはりカリブ海諸国の常としてサルサに取って代わられた。このためサルサにおいてベネスエラは何人かの重要なミュージシャンを輩出している。他にも1960年代からマラカイボ周辺でガイタ(スペインのガリシア地方のバグパイプに由来)というスタイルのリズムが流行し、1980年代からカリブ海岸の都市で黒人音楽タンボール(スペイン語で太鼓の意味であり、ウルグアイの黒人音楽カンドンベの楽器もタンボールであるので紛らわしくならないよう注意したい)が復古されている。
著名な音楽家としては、フォルクローレのセシリア・トッドやシモン・ディアス(『カバージョ・ビエホ』の作曲者)、セレナータ・グアヤネーサ、ロックのデソルデン・プブリコスなどが挙げられる。シモン・ボリバル・ユース管弦楽団も著名である。
世界遺産
ベネスエラ国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が2件、自然遺産が1件ある
リャノから生まれた舞踊の音楽ホローポは国民音楽であり、アルマ・ジャネーラ(平原児(ジャネーロ)の魂)というオペレッタから生まれたフォルクローレは第二国歌とも呼ばれている。スペイン伝来のクアトロ(4の意味から四弦)やアルパなどの楽器や、その他にはマラカスが広く使われている。日本でも良く知られているコーヒー・ルンバはベネスエラ出身のアルパ奏者、ウーゴ・ブランコによって演奏されてヒットした曲である。
古くはメレンゲ(ドミニカ共和国のメレンゲとは異なる)がダンス・ミュージックだったが。これはやはりカリブ海諸国の常としてサルサに取って代わられた。このためサルサにおいてベネスエラは何人かの重要なミュージシャンを輩出している。他にも1960年代からマラカイボ周辺でガイタ(スペインのガリシア地方のバグパイプに由来)というスタイルのリズムが流行し、1980年代からカリブ海岸の都市で黒人音楽タンボール(スペイン語で太鼓の意味であり、ウルグアイの黒人音楽カンドンベの楽器もタンボールであるので紛らわしくならないよう注意したい)が復古されている。
著名な音楽家としては、フォルクローレのセシリア・トッドやシモン・ディアス(『カバージョ・ビエホ』の作曲者)、セレナータ・グアヤネーサ、ロックのデソルデン・プブリコスなどが挙げられる。シモン・ボリバル・ユース管弦楽団も著名である。