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ピョートル1世以降のロシア帝国

ロシアの動乱時代はコサックの助力を得て、終息し、1617年にミハイル・ロマノフによってロマノフ朝が開基した。17世紀の終わりに、ピョートル大帝が即位すると、彼の強い指導力のもとロシアは旧弊を打破し、近代国家としての装いを急速に調えはじめる。まず、オスマン帝国と争い、アゾフ海に進出、さらにスウェーデン・バルト帝国と大北方戦争を戦い、バルト海沿岸を獲得、そこを「西欧への窓」と位置付け、首都サンクト・ペテルブルクを建設し、そこを帝都とした。ピョートル大帝以後は、貴族同士の争いが熾烈となり、国政は停滞したが、エカテリーナ2世の登場で、啓蒙主義に基づいた近代化がはかられた。一方で農奴の反乱「プガチョフの乱」は徹底的に鎮圧した。またエカテリーナ2世は領土拡大に熱心で、いわゆる「ポーランド分割」をオーストリア帝国、プロイセン王国とともに行い、ポーランド東部を獲得した。また南方でも、オスマン帝国との戦争(露土戦争)などにより領土を黒海沿岸やクリミア半島まで広げただけではなく、サファヴィー朝との境のコーカサス地方にも侵略、これを併合した。現在まで続くチェチェン紛争の原因となる。さらにアメリカ独立戦争にも干渉し、加えてアラスカ、千島にも進出し、アダム・ラクスマンと大黒屋光太夫とともに日本の江戸幕府に使わし交易を求めた。日本との北方領土を巡る外交戦争の始まりでもあった。
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19世紀に移ると、アレクサンドル1世はフランス革命に際して対仏大同盟に参加。1812年のナポレオン1世のロシア遠征に際しては、これを撃退し、1814年のウィーン会議後には神聖同盟を提唱し、自由主義運動の封じ込めを各国と連携して行った。

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2009年09月23日 01:40に投稿されたエントリーのページです。

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